決められたことをやる能力→だけしかできない
いつまでたってもPCが使えない父を見ていると、いつも思う。
高校も千葉県で上位の公立高校、大学も国立大を出ているのに
一定以上の学はあるはずなのに、なぜPCが使いこなせないのか。
他人用のPCは使いにくい。個人向けに設定がされているから。
カーソルの移動速度ひとつとっても個人差あるし(私は遅い)
キーボード配列も違うし(私は英語配列およびカスタマイズ)
デスクトップ上のショートカットアイコンの位置も違うし(私は自由配置)
ブラウザもちがうし(私はFireFox)
IMEもちがうし(私はGoogle日本語)
エクスプローラの起動方法も皆まちまち(私はタスクバー上のショートカット)。
目的地は同じ、でも至る道のりが違う。
いろんな方法が用意されているから自分にあったやり方を取ればいい。
しかし、父は型を求める。
電話口で父のPCサポートをしているとき。
私「エクスプローラ立ち上げて」これは目的地、
父「どこから立ち上げる?」これは手段。
私「Windowsキーを押しながらEボタン」ある手段、
父「え?デスクトップのコンピュータじゃないの?」また別の手段。
毎度毎度父の電話サポートでは手段を伝えることに時間を要する。
未知のものに対する恐怖は理解できるけど、10年以上も使っている機械にいまだ恐怖心を抱くのは
もはや個人の資質によるところが大きい。
目的に至るやり方が複数あることに恐怖があるのだろう。
逆に、ガチガチに決められたこと遂行する能力は高い(のかな?)。
そういう性質の人にとっては教員とか天職だったかもしれない。
指導要綱があって、教科書があって、進捗目標があって、それらに沿って、半自動的に進めていく。
でもそれって、より良くするための工夫とか、従来のあり方を一新するようなイノベーションを評価できない。
自分が親になって、子どもの勉強を見るようになって注意しているのはその点。
もしかしたら自分を超える発想をしてくるかもしれないと、いつも注意しながら子どもの回答を聞いている。
自分がそんな考えで子どもを教えているのは父が反面教師になっているから。
同様に仕事でも、自分の部下が自分のやり方以上にベターな手法を提示してくるのではと
嬉しさ半分くやしさ半分で耳を傾けてる。
これ、パソコン操作の話だから笑って聞ける人も
カメラの話に置き換えるとどうだろう。
型を求める、型を誇示する。
「マニュアルで撮りました」「トリミングしてません」「コントラスト調整してません」
他人からすると「知るか」要素です。
他人、つまり誰に自分の写真を見られるか。
これがキーワードか。
一応明言しておくと、私のこのブログの想定読者は
カメラをあまり知らない人が、Googleで検索してきてたまたま訪れてくれる人。
「ミスせとものってどんな人?」「C86のコスプレはどんなんがあったのかな」「金粉塗りたくって踊る人って」
たまたま訪れてきた人に撮影の苦労話はしません。
ちょっと話がそれてしまいましたけど
まとめると
考え方は柔軟に。です。
特に、年齢を重ねたり、人に教える立場になればなるほど
自戒したいものです。
高校も千葉県で上位の公立高校、大学も国立大を出ているのに
一定以上の学はあるはずなのに、なぜPCが使いこなせないのか。
他人用のPCは使いにくい。個人向けに設定がされているから。
カーソルの移動速度ひとつとっても個人差あるし(私は遅い)
キーボード配列も違うし(私は英語配列およびカスタマイズ)
デスクトップ上のショートカットアイコンの位置も違うし(私は自由配置)
ブラウザもちがうし(私はFireFox)
IMEもちがうし(私はGoogle日本語)
エクスプローラの起動方法も皆まちまち(私はタスクバー上のショートカット)。
目的地は同じ、でも至る道のりが違う。
いろんな方法が用意されているから自分にあったやり方を取ればいい。
しかし、父は型を求める。
電話口で父のPCサポートをしているとき。
私「エクスプローラ立ち上げて」これは目的地、
父「どこから立ち上げる?」これは手段。
私「Windowsキーを押しながらEボタン」ある手段、
父「え?デスクトップのコンピュータじゃないの?」また別の手段。
毎度毎度父の電話サポートでは手段を伝えることに時間を要する。
未知のものに対する恐怖は理解できるけど、10年以上も使っている機械にいまだ恐怖心を抱くのは
もはや個人の資質によるところが大きい。
目的に至るやり方が複数あることに恐怖があるのだろう。
逆に、ガチガチに決められたこと遂行する能力は高い(のかな?)。
そういう性質の人にとっては教員とか天職だったかもしれない。
指導要綱があって、教科書があって、進捗目標があって、それらに沿って、半自動的に進めていく。
でもそれって、より良くするための工夫とか、従来のあり方を一新するようなイノベーションを評価できない。
自分が親になって、子どもの勉強を見るようになって注意しているのはその点。
もしかしたら自分を超える発想をしてくるかもしれないと、いつも注意しながら子どもの回答を聞いている。
自分がそんな考えで子どもを教えているのは父が反面教師になっているから。
同様に仕事でも、自分の部下が自分のやり方以上にベターな手法を提示してくるのではと
嬉しさ半分くやしさ半分で耳を傾けてる。
これ、パソコン操作の話だから笑って聞ける人も
カメラの話に置き換えるとどうだろう。
型を求める、型を誇示する。
「マニュアルで撮りました」「トリミングしてません」「コントラスト調整してません」
他人からすると「知るか」要素です。
他人、つまり誰に自分の写真を見られるか。
これがキーワードか。
一応明言しておくと、私のこのブログの想定読者は
カメラをあまり知らない人が、Googleで検索してきてたまたま訪れてくれる人。
「ミスせとものってどんな人?」「C86のコスプレはどんなんがあったのかな」「金粉塗りたくって踊る人って」
たまたま訪れてきた人に撮影の苦労話はしません。
ちょっと話がそれてしまいましたけど
まとめると
考え方は柔軟に。です。
特に、年齢を重ねたり、人に教える立場になればなるほど
自戒したいものです。
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