追い詰められていると見る悪夢
状況の無理さ、作業の遅延、業務遂行の難易度、関係各所との調整難航。
精神的に追い詰められている時にきまってみる夢があります。
登場人物とシチュエーションがいつも同じ。
必ず登場する人物:父親
シチュエーション1:大学卒業が怪しい
シチュエーション2:高所
そういえば、おねしょするときにも決まって必ず見る夢がありました。
私、年長になるまでおもらてぃしていたので記憶に残っています。
その時の夢は必ず「大型バイクにニケツしている」というシチュエーションでした。
いま扱っている仕事が3つあって、それぞれが特有の問題を抱えてる。
人の質、作業のルール、そして作業の量。
単位が足りず大学卒業が危ぶまれる状況。
必須科目のテストが難しすぎてチンプンカンプン。
そろそろ卒業後のことを両親から聞かれる。いやそれ以前に
卒業できなさそうだと伝えないといけない。
父が睨んでいる。
もしかすると自分の仕草や態度から状況を察知しているのかもしれない。
あぁぁ・・・。
時はめぐって、自分は働いている。
結局大学を卒業できず、アルバイトのようなことをして
でも職を転々と変え、その頃は高所ビルの上階に事務所を構える
小さな会社で書類に埋もれている。
身の回りのもの全てに怯え、過去の失敗の記憶に苛まれる。
いまだに大学のことが夢に出るっていうのは、当時よっぽど不安だったんだなぁ。
ほとんど大学にも行かず、友人からも心配されるほどには鬱ってた時期もあった。
その理由はまさにモラトリアム。一体この先自分はどうなっていくんだろうという
漠然とした不安が大きくなって無気力に。
どうやって脱したのか。答えは見つかったのか。結論は「解なし」でした。
学生時代は楽しかったという印象を持っている、つもりでしたけど、深層心理では
単位を学位を落とすことの恐怖に怯えていたのかもしれません。だってこうして
夢にまで出てくるんだもの、毎回。
大学4年時の卒業研究が楽しかった印象が、大学生時代を総括するイメージに
つながっているのかもしれません。所属した研究室は資金が潤沢で、機材も豊富。
あれこれ使わせてもらえたし、試行錯誤させてもらえた。
毎月一回の進捗報告は、まわりの同期は憂鬱だったみたいだけど、私的には
失敗も報告できる内容だったし、首尾よく目的まで達成できたら褒められていたしで
自信を強化できる場でした。
やっぱり自分は研究職タイプにこそ相応しいんだろうな。
今やっている仕事みたいに、業務の進め方があって、それを卒なく関係各所と調整し
万事滞り無く進行させることが求められる仕事・・・は向かないなぁ。
鉄火場、デスマーチ、マイナスからのスタート。一瞬の判断を誤れば即死という状況。
またはゴールが見えない、そもそもゴールがあるのか分からない状況。
千変万化五里霧中の状況こそ適した質(タチ)。
振り返ってみれば社会人の自分を形作ってきた各イベントは全て恵まれてない環境だった。
新卒でいきなり全社員が利用するプログラムの開発を任されたり
学部と全然関係ない経験もない幾何演算プログラムを組まされたり
前任者がしくじってボロボロになっているプロジェクトに代打で突っ込まれたり
書き出してみて気がつくのは、各状況に自分の意志ではなく誰かに放り込まれていること。
でも上長も脈絡なく私を放り込むことはしないはず。そう、自分が望んで、その結果。
「こんな使いにくいプログラム使いたくない」と愚痴っていたら「じゃあお前が直せ」からの開発任命だし
「プログラム開発を本格的にやりたい」と決起してからの幾何演算プログラムだし
「あのプロジェクト大変なことになってんな、手伝いましょうか」からの代打だし。
望むとその先にでかい壁があって、それを乗り越えると一皮剥けました自分
みたいな流れきてる。3~5年周期できてる。ってことはそろそろ何か、来る。
父と高所。そりゃ怖いわ。
オヤジは怖いくらいでいいんだよ。
精神的に追い詰められている時にきまってみる夢があります。
登場人物とシチュエーションがいつも同じ。
必ず登場する人物:父親
シチュエーション1:大学卒業が怪しい
シチュエーション2:高所
そういえば、おねしょするときにも決まって必ず見る夢がありました。
私、年長になるまでおもらてぃしていたので記憶に残っています。
その時の夢は必ず「大型バイクにニケツしている」というシチュエーションでした。
いま扱っている仕事が3つあって、それぞれが特有の問題を抱えてる。
人の質、作業のルール、そして作業の量。
単位が足りず大学卒業が危ぶまれる状況。
必須科目のテストが難しすぎてチンプンカンプン。
そろそろ卒業後のことを両親から聞かれる。いやそれ以前に
卒業できなさそうだと伝えないといけない。
父が睨んでいる。
もしかすると自分の仕草や態度から状況を察知しているのかもしれない。
あぁぁ・・・。
時はめぐって、自分は働いている。
結局大学を卒業できず、アルバイトのようなことをして
でも職を転々と変え、その頃は高所ビルの上階に事務所を構える
小さな会社で書類に埋もれている。
身の回りのもの全てに怯え、過去の失敗の記憶に苛まれる。
いまだに大学のことが夢に出るっていうのは、当時よっぽど不安だったんだなぁ。
ほとんど大学にも行かず、友人からも心配されるほどには鬱ってた時期もあった。
その理由はまさにモラトリアム。一体この先自分はどうなっていくんだろうという
漠然とした不安が大きくなって無気力に。
どうやって脱したのか。答えは見つかったのか。結論は「解なし」でした。
学生時代は楽しかったという印象を持っている、つもりでしたけど、深層心理では
単位を学位を落とすことの恐怖に怯えていたのかもしれません。だってこうして
夢にまで出てくるんだもの、毎回。
大学4年時の卒業研究が楽しかった印象が、大学生時代を総括するイメージに
つながっているのかもしれません。所属した研究室は資金が潤沢で、機材も豊富。
あれこれ使わせてもらえたし、試行錯誤させてもらえた。
毎月一回の進捗報告は、まわりの同期は憂鬱だったみたいだけど、私的には
失敗も報告できる内容だったし、首尾よく目的まで達成できたら褒められていたしで
自信を強化できる場でした。
やっぱり自分は研究職タイプにこそ相応しいんだろうな。
今やっている仕事みたいに、業務の進め方があって、それを卒なく関係各所と調整し
万事滞り無く進行させることが求められる仕事・・・は向かないなぁ。
鉄火場、デスマーチ、マイナスからのスタート。一瞬の判断を誤れば即死という状況。
またはゴールが見えない、そもそもゴールがあるのか分からない状況。
千変万化五里霧中の状況こそ適した質(タチ)。
振り返ってみれば社会人の自分を形作ってきた各イベントは全て恵まれてない環境だった。
新卒でいきなり全社員が利用するプログラムの開発を任されたり
学部と全然関係ない経験もない幾何演算プログラムを組まされたり
前任者がしくじってボロボロになっているプロジェクトに代打で突っ込まれたり
書き出してみて気がつくのは、各状況に自分の意志ではなく誰かに放り込まれていること。
でも上長も脈絡なく私を放り込むことはしないはず。そう、自分が望んで、その結果。
「こんな使いにくいプログラム使いたくない」と愚痴っていたら「じゃあお前が直せ」からの開発任命だし
「プログラム開発を本格的にやりたい」と決起してからの幾何演算プログラムだし
「あのプロジェクト大変なことになってんな、手伝いましょうか」からの代打だし。
望むとその先にでかい壁があって、それを乗り越えると一皮剥けました自分
みたいな流れきてる。3~5年周期できてる。ってことはそろそろ何か、来る。
父と高所。そりゃ怖いわ。
オヤジは怖いくらいでいいんだよ。
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